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ぐり茶の由来・誕生の歴史

ぐり茶の歴史

『ぐり茶』の名称の由来
正式には【蒸し製玉緑茶】と言いますが外観の丸い感じから『ぐり茶』と呼ばれています。
この『ぐり茶』という呼び方は伊豆地方独特のものです。
それが近年全国各地にこの名称が広まり一般的名称になりました。
また、九州では釜炒り製の玉緑茶と区別するため【蒸しぐり】とも呼んでいます。

ぐり茶 茶葉

 

【ぐり茶】誕生の歴史

戦前には日本茶が大量に米国に輸出されていました。
明治後半から大正中ごろまで、なんと年間二万トン前後にのぼっていたのであります。
しかし第一次世界大戦前後から米国市場にインド・セイロン紅茶が安く入ってきたことや、日本茶には木茎が多いというような品質低下が重なって次第に評判が落ちてきました。
そんな時、緑茶にはビタミンCが大量に含まれているという研究結果が三浦政太郎によって発表されました。1924年(大正13年)のことである。
いざ、市場奪回へと茶業関係者は意気込んだけれど、米国政府が行った追認試験で疑問が出されて、すっかり意気消沈してしまった。これは実験に使用した素材に問題があったともいうが、やむをえない。そこであらたな市場開拓への模索が始まる。
ひとつは大戦中の1917年に成立したソヴィエト連邦(ソ連)である。長い間進歩的文化人の希望の星であったソ連が崩壊したのが1991年のことだから、今の大学生にはソ連といっても通用しないかもしれないが、ソ連は国民にとって必須の茶を輸入するために日本に接触してきた。

そのころの大陸における日本茶は中国茶に混ぜて利用されていたらしい。これはチャンスである。いっそのことソ連が好む中国茶タイプを日本でも生産したらどうか、ということでソ連側担当者のアドバイスを受けながら、まさにソ連の嗜好にあわせた製茶技術の開発が行われました。 その結果、釜炒りであった中国茶と外観がよく似ていて、しかも苦味がなどを減少させる為に、従来の茶よりも蒸し時間を長くし、釜炒り茶のように見える丸い形に仕上がるようにしました。
蒸製玉緑茶の誕生です。これが、見たところがグリグリしているというところから「ぐり茶」と呼ばれたのが始まり。
「ぐり茶」はソ連に受け入れられて、輸出量がどんどん伸びた。それに合わせて茶業組合中央会議所が名称を募集した結果「玉緑茶」という名前が誕生したのである。佳作には勾玉茶、丸茶、日之丸茶、富士茶、などがあったといいます。
昭和30年代の北アフリカ向け輸出の為に、中国のガンパウダーに対抗して、ヨンコン茶を静岡や三重で製造して静岡市内の輸出商社(ヘリヤさん、アウインさん、BA商会さんなど)が北アフリカ(モロッコ)へ輸出した。北アフリカ(モロッコ)は砂漠でビタミンCの補充が出来なかったので、短期的だったが日本茶が北アフリカ(モロッコ)に輸出されていたと聞いてます。
そして「ぐり茶」の輸出が縮小するにつれ昭和40年代頃に茶業界が国内で売り出そうとした時期がある様です。
それが弊社の販売するお茶が「ぐり茶」になったきっかけともいえます。

 

 

【伊豆・伊東の名産 ぐり茶】

「ぐり茶」は、関東圏から来客される観光客様を中心に販売を始めたのがきっかけです。
それは昭和40年代頃。
先の項目でも話に出ましたが、輸出を行っていた合資会社ビーエー商会(現:伊藤園の前身といえる会社)から「ぐり茶」を仕入し、伊豆でお茶を販売するなら静岡と変わったお茶を!という意気込みでこの「ぐり茶」を地元・観光客様に大々的に売り込みました。

現在では、伊東市を中心に家庭内で愛されるお茶に発展し、関東圏のお客様好みの味に進化を遂げました。

 

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