上記の絵はぐり茶の杉山伊豆高原店のカウンターに飾ってあります。
この絵なんだかわかりますでしょうか?
これは絵ではなく版画です。
芸術用の版画ではなく商用のものです。
実はこの版画絵は、日本茶の華やかな歴史を象徴するものです。
茶の輸出の歴史は、昨年のNHKで話題の竜馬伝「坂本竜馬」に登場する大浦慶(おおうら けい 1828~1884)から始まりだと聞いています。
この大浦慶は日本茶を初めて世界に輸出した人物で、茶の取り引きはイギリスの貿易商人ウィリアム・オールトとの間で行われました。
当初、オールトからの発注を受けて、慶は1万斤(6000キロ)もの日本茶を手配してアメリカへ輸出。
これが日本茶輸出貿易の先駆けとなった。
その後日本茶はイギリスやアラビアにも輸出されるようになり、慶は若干30代にして日本茶貿易商として莫大な富みを得ました。
得た財力を坂本龍馬を始め江戸時代幕末の志士達へ資金や自宅をアジトとして提供し彼らが明治政府を造りあげる大きな力となりました。
そして明治維新後、さらに日本茶の輸出量が増えます。
日本茶の輸出が盛んになり、茶商は創意工夫を凝らした茶箱にはる商品ラベルを上記の写真のようなラベルをこぞって作成したのが始まりです。
蘭字とは、中国の茶商から伝えられた業界用語で「西洋の文字」の意味で、輸出用の日本茶の木箱に貼るラベルをかつてこう呼びました。
幕末から大正にかけて、横浜や神戸から積み出された緑茶梱包には
アルファベット文字入りの華やかな木版多色刷りラベルが貼られていたました。
商標や等級を示す欧文ロゴは当時最新の書体が使われた例もあり、
外国のデザインをそのまま移入したものらしい。
しかしこれに花鳥や美人風俗などの絵柄をあしらい、
極薄の木版画に刷り上げたのは浮世絵の職人達です。
ちなみにこの「蘭字ラベル」は短期間ではありますが美術館等でも公開されたりしています。
なお、この蘭字に魅せられて研究されていらっしゃる方もいます。「蘭字研究家 井手 暢子」